アンドワーズ広報担当 三浦
私がまだ小学生で、祖父母が健在だった頃は、家で餅をついていました。餅をつくのは、九餅は駄目だと言って二十九日は避け、末広がりの八(二十八日)か、父の正月休みが始まる三十日を選んでいたような記憶があります。ちなみに母は毎年、三十一日から正月休みだったので、餅つきに参加することはありませんでした。
庭に臼と杵を出して、祖父が杵を握り、祖母が餅を返していました。二人の伯母が手伝いに来ていて、つきたての餅をのして手際よく切り分けていきました。丸くのした餅を四角く切り分けていくのですから、半端になった三角形の切れ端ができます。
「ほら、食べていいよ」
と言われ、その切れ端を砂糖醤油で食べたのを思い出します。いまとなっては遠い記憶です。
我が家で餅をつかなくなってからは、伯母が餅つき機でついた餅をお裾分けしてくれるようになりました。毎年、二十八日の夕方になると、
「餅ついたから、取りにおいで」
と、電話がかかってきました。近所に住む伯母の家に重箱を持って行くと、切り餅を詰めてくれました。切り餅を二つずつ小皿に載せて、その上にミカンを載せて、鏡餅の代わりに神棚や仏壇に供えます。
餅をつくには、前日から餅米を水に浸しておいたりと、色々準備が必要です。つく量が多ければ、用意する餅米の量も当然ですが、多くなります。我が家の分だけでなく、五軒分も餅米を準備する負担が、伯母にとって年を重ねる毎に重くなっていきました。
ところで私は祖母が餅米で作る混ぜご飯が大好きだったのですが、七十歳を過ぎた頃には一升分の餅米を蒸かしたりするのが困難になりました。申し訳なさそうに
「もう作れないんだよ。ごめんなぁ」
と言った祖母に、どうしても食べたいと駄々をこねることはできません。
そうした記憶を踏まえて考えてみると、二十年以上経って、あの頃の祖母の年に伯母もなったのですから、
「餅つくのはこれが最後だよ。来年はもうつけないからね」
と、伯母が言うようになったのも無理はありません。
そうか、これが最後の餅か……。伯母ちゃんも年取ったんだなとしんみりしながら、ありがたいと思いつつ餅を食べる……、ということが、もう七~八年続いています。最後だよと言われながら受け取るのが、もはや恒例行事のようになっているのです。最後とは一体……?と思うと、ちょっとおかしくもあります。
おいしいものを作って食べさせたいと思って身体が動く内は、まだまだ元気なのだと思います。いつか、気持ちがあっても身体が言うことを聞かなくなる日が訪れるのだと思います。そうなって初めて、あれが最後だったのかとわかるのでしょう。
最後の餅が、なるべく先のことでありますように。そして平穏な正月が、変わらず迎えられますように。そう思いながら、餅を焼いて食べました。